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■『戦旗』1661号(6月20日)4-6面 戦争会議―G7プーリア・サミット弾劾 「異次元金融緩和」を脱却できない日帝 香川 空 帝国主義諸国などG7諸国は六月一三日から一五日、イタリア南部プーリア州で、首脳会議(G7サミット)を開催した。七四―七五年恐慌のさなか、七五年にフランス・ランブイエで開催されたサミットから五〇回目となる。 かつて、金―ドル兌換体制が七一年に崩れ、変動相場制へと突入。一方で、第四次中東戦争―石油危機、七五年ベトナム民族解放革命戦争の勝利=米帝の敗北。この帝国主義の戦後世界支配体制の危機という事態の中で、帝国主義諸国がその世界支配体制を再構築しようとしたランブイエ・サミットであった。 変動相場制の下にありながら、G7蔵相・中央銀行総裁会議が帝国主義間の通貨の調整を成し、基軸通貨ドルを支えるという体制を維持してきた。G20に拡大されてもG7財務相・中央銀行総裁会議が堅持されてきたのは、まさに帝国主義の支配体制を護持するためであっただろう。 二〇二四年のイタリア・サミットも、その直前のG7財務相・中央銀行総裁会議も、ロシア・中国と対峙し、政治・軍事に強く傾いた会議となった。戦争問題において帝国主義が協調している印象を与えるサミットであったが、経済問題においては協調してはいない。日米間の政策金利は極端に拡大し、円安ドル高が続いている。対ドルのみならず、対ユーロでも、円は下がり続けている。G7財務省・中央銀行総裁会議で日銀と財務省は為替の安定を主張はしたが、通貨問題で協調するような状況ではなくなっている。 アベノミクス以降一〇年におよんで日銀と日本政府が続けてきた「異次元金融緩和」に、この経済失政の主要因があるからだ。 ●プーリア・サミット ロシア、中国との対立を鮮明にしたサミット 六月一三日から一五日にイタリア南部プーリア州で開催されたG7首脳会議(イタリア・サミット)は、ロシア、中国との対立を鮮明にする首脳宣言を採択した。G7サミットに合わせ、一一~一二日にはベルリンで「ウクライナ復興会議」を、そして、一五~一六日にはスイスで「平和サミット」なる会議を開催した。 G7サミットの重要事項の一つは、ウクライナ支援の新たな財政的根拠での合意だ。 ロシアのウクライナ侵攻が続く中、NATOを構成する諸国などのウクライナ軍事支援に限界が生じている。ウクライナ支援の新たな基金を創設し、G7諸国が年内に五〇〇億ドル(七兆八五〇〇億円)の貸し付けを行う。この貸し付けに対しては、ウクライナ侵略戦争をめぐる制裁で凍結しているロシアの資産を元にして債券発行や融資を行い、そこから得る利益を充てるというものだ。 帝国主義のウクライナ軍事支援の疲弊状況を端的に示す事態ではあるが、停戦へのプロセスを探るのではなく、ロシアの凍結資金を利用してでも戦争を継続する意志一致を行なっていることこそが問題だ。 もう一つは、中国に対する批判だ。電気自動車(EV)や太陽光パネルについて中国が「過剰生産」であると批判。中国の重要鉱物輸出規制がサプライチェーンの混乱につながるとして規制を控えるように要求。また、中国の「ロシアへの支援に深い懸念」という文言で中国・ロシアの関係を批判した。台湾海峡の平和と安定が不可欠ということを再確認して、インド太平洋地域における中国包囲の意図を鮮明にした。 日米欧の帝国主義にとって中国の工業生産の拡大が脅威となっていることは事実であるだろう。しかし、これが経済問題としてだけでなく、中ロ関係、台湾問題と相俟って政治軍事的に、帝国主義と中国との対立を鮮明にしたところに、日米帝国主義の意図が貫かれていた。 中国を批判する一方で、G7諸国としての経済安全保障に関する合意をしている。中国を念頭においた過剰生産や非市場的政策及び慣行に関する対応、経済的威圧への対処について合意し、また、G7諸国間でのサプライチェーンの強靭化、重要・新興技術の保全についても確認した。 世界の分断と対立を煽り立て、それゆえにこれまでの「グローバリゼーション」が破綻する中で、帝国主義諸国を軸にした同盟国間での鉱物資源や工業製品のサプライチェーンを強化していこうという目論見である。 日帝―岸田の軍事支援策 岸田文雄は、内閣支持率、自民党支持率が下がり続ける中で、「外交成果」を目指してサミットに臨んだ。出発前には記者団に対して「ウクライナ対応はG7など同志国と連携しつつ、厳しい対ロ制裁と強力なウクライナ支援を継続する姿勢を示していく」と表明していた。岸田政権は、ゼレンスキーとの会談を設定し、二三本の二国間協力文書に署名した。協力文書では、地雷除去や防衛装備品の提供、エネルギー分野の技術提供などを盛り込んでおり、NATO諸国とともにウクライナ軍事支援を進めることを鮮明にした。 岸田は、インド太平洋をめぐる論議において、中国をめぐる課題、朝鮮民主主義人民共和国の「核・ミサイル問題、拉致問題」で日本とG7諸国との連携を深めたいと主張。インド太平洋の政治軍事問題を主導しようとした。 G7財務相・中央銀行総裁会議 六月のG7サミットに先立って、五月二四、二五日にイタリア北部ストレーザでG7財務相・中央銀行総裁会議が開催された。ここでも、G7諸国間の為替問題、経済問題ではなく、軍事問題に直結した財政課題が論議された。 G7サミットで最終的には合意したロシアの凍結資産の「利用」は、この財務相・中央銀行総裁会議において、その概要が論議され合意されていた。中国の「過剰生産」問題も、ここで論議されていた。 「為替の安定」を日本が要請し、これに関しては過去のG7の共同声明を再確認した。その文言とは、二〇一七年の共同声明で明記された「為替レートの過度の変動や無秩序な動きは、経済及び金融の安定に対して悪影響を与え得る」というものである。 しかし、これは円急落の流れに対して、G7が協調して対処する確認ではない。日本政府が四月から五月にかけて大規模に行った為替介入に関して、米国は繰り返し批判を続けているからだ。現在進行する円安は、日銀の金融政策の責任が大きいと、他帝の金融当局者も捉えているということだ。 ●アベノミクスの負の遺産 安倍晋三が銃撃され亡くなって二年になる。安倍の死によって統一教会問題が露呈したが、自民党と統一教会の関係のすべてが明らかにされたわけではなく、根本的には解決されていない。一方で、安倍が主導した経済政策=アベノミクスは、日本経済と労働者人民の生活を深刻な事態へと引きずり込んできている。 安倍はデフレ脱却を掲げてきたが、「異次元の金融緩和」を七年続けても「物価上昇率2%目標」を実現できなかった。結局は、アベノミクスではなく、直接にはコロナ禍と二つの戦争を主要因として悪性のインフレに転換している。エネルギーや食糧などの輸入物価が急騰し、実質賃金低下が労働者人民を直撃している。しかも、この状況に対応した金融政策転換ができず、「異次元金融緩和」継続ゆえの円安進行が、物価高騰に拍車をかけている。労働者人民が突きつけられている現実は、経済の停滞、格差の拡大、物価高による生活破壊だ。 安倍晋三は、デフレ脱却を掲げて自らの「経済政策」=アベノミクスを進めた。「大胆な金融政策、物価上昇率2%目標」、「機動的な財政政策と国土強靭化計画」、「民間投資を喚起する成長戦略」を「三本の矢」として掲げて、必ずデフレ脱却をすると表明していた。 安倍は、その「大胆な金融政策」を、黒田東彦を無理やり日銀総裁に据えることで実行してきた。本来政権とは独立して金融政策をなすのが中央銀行なのだが、黒田は完全に安倍政権の意の下で、アベノミクスの一環として「異次元の金融緩和」を進めてきた。 安倍は二〇一三年一月の経済財政諮問会議において、当時の日銀総裁・白川方明に対して、一〇年以上続くデフレを脱却するために、「2%という目標」を設定して「大胆な金融緩和」を行うことを要請した。安倍は、その「2%目標」が日銀の責任であるとし、日銀総裁に対して「要求することは要求させていただきたい」と語って、従わせた。 安倍晋三は、インフレもデフレも「貨幣的現象」であり金融政策によって対処できると考える、リフレ派経済学者の岩田規久男、浜田宏一などをブレーンとして、アベノミクスを策定していた。このリフレ派の主張に基づいて、日銀に対しても金融緩和の要求を突きつけた。「官邸主導」で官僚を従わせる政治に踏み込んでいた安倍は、中央銀行である日本銀行も、政府の一行政機関としてしか捉えていなかったのだろう。 安倍は、この2%物価目標を、政府と日銀の「共同声明」という形で確認することを主張。一月二二日には、次のような「共同声明」を発表した。 一、日銀は物価安定の目標を消費者物価の前年比上昇率で2%とする。 二、日銀は金融緩和を推進し、できるかぎり早期に実現することを目指す。 三、政府は成長力強化と持続可能な財政構造の確立に取り組む。 四、経済財政諮問会議は取り組み状況を定期的に検証する。 この共同声明の後、白川は、四月八日の任期満了を繰り上げて、三月一九日に辞職した。 安倍は白川の後任に黒田東彦を選んだ。財務省出身でアジア開発銀行総裁だった黒田は、2%インフレ目標の金融緩和を全面的に進める意志を鮮明にして、安倍の依頼を受けた。 三月二〇日に黒田が日銀総裁に就任。岩田規久男、中曽宏が副総裁に就任した。 黒田日銀の一〇年 黒田の下で四月四日、日銀は最初の金融政策決定会合を開き、次のような大規模緩和方針を決定した。 一、操作目標をマネタリーベース(貨幣供給量)に変更し、年間六〇兆から七〇兆円ペースでこれを増やす。 二、長期国債を年間五〇兆円程度買い増しする。買い入れの平均残存期間を現状の三年弱から七年程度に延長する。 三、ETF(上場投資信託)を年間一兆円、REIT(不動産投資信託)を現状の三年弱から七年程度に延長する。 四、2%の物価安定目標を実現し、安定的に持続できるまで量的・質的金融緩和を継続する。 黒田は金融政策決定後の会見で、「2%、2年、2倍、2倍」と表記したパネルを掲げた。インフレ目標2%を二年で実現する、マネタリーベースは二倍に増やす、買い入れの平均残存期間は二倍以上、という宣言だった。これを「異次元の金融緩和」だと自賛した。 翌一四年四月、民主、自民、公明三党の合意=「社会保障と税の一体改革」に基づく消費税率引き上げ(5%から8%への増税)が実施された。賃金が上がらず、消費税増税となる中で、国内消費は一気に落ち込んだ。 日銀は、第二弾の「異次元金融緩和」策に踏み込んだ。 一、マネタリーベースの増加ペースを年間八〇兆円に拡大する。 二、長期国債の買い増し額を三〇兆円増やし、八〇兆円に拡大する。 三、買い入れの平均残存期間を最大三年延長し、七~一〇年程度に延長する。 四、ETFとREITについても従来の三倍のペースで買い入れる。 デフレを止めるためには何でもやるという、この黒田日銀の新たな「異次元緩和」策は「黒田バズーカⅡ」と報じられた。 ①日本国債の信任低下問題 二〇一五年に入ると、日本国債の格付けが引き下げられていることが経済財政諮問会議で問題となった。 日銀は「日銀は財政を助けるためではなく、金融政策のために国債を購入しているのだから、財政ファイナンスではない」と主張するのだが、欧州の一部の銀行は日本国債を保有する比率を引き下げ始めていた。日本国債への信任の低下が進めば、国債価格の暴落―長期金利急騰という事態に至る危険もある。 二度にわたる大規模金融緩和でマネタリーベースは急増したが、銀行貸出は増えなかった。日銀が、民間金融機関の国債を買い続けたが、金融機関はそれを日銀に預け入れる。結局それは「過剰なマネー」として当座預金に積み上がっていくだけという状況だったのだ。 黒田が就任時に豪語した「二年」目にあたる一五年四月の段階で、2%物価安定目標は達成されなかった。日銀は、2%達成時期を「二〇一五年度を中心とする期間」から「二〇一六年度前半ごろ」に修正した。 ② マイナス金利の導入 黒田は、二年で2%インフレが「異次元の金融緩和」だけでは達成できない中で、「量の次はマイナス金利もある」と言い始め、日銀企画局にマイナス金利を導入した諸国の研究を行わせた。二〇一〇年代の欧州各国の債務危機―通貨危機に際して、デンマーク、欧州中央銀行、スウェーデン、スイスがマイナス金利を導入していた。先行事例として、その研究がなされた。 通常、預金金利は0%以下には低下しない。マイナス金利になると預金が減っていくのだから、預金者は、預金を解約して現金化を選択する。現金化されれば、社会に流通することになる。しかし、預金者全てがこのような預金引き出し行動に出ることになれば、それは銀行の取り付け騒ぎであり、恐慌の始まりである。こんなことができるわけがない。 黒田日銀が実施したのは、全面的なマイナス金利導入ではなく、各金融機関の日銀当座預金の一部に対してマイナス金利を適用するものだった。これまで、日銀と金融機関との間では、各金融機関の日銀当座預金に対して、0・1%の付利があった。これを三層に分け、プラス0・1%、ゼロ金利、マイナス0・1%を適用する、というものだった。 日銀は二〇一六年二月、この新たな制度を「マイナス金利付き量的・質的金融緩和」として実施した。 三層に分けたことでマイナス金利の影響は部分的だと日銀は想定したのだが、結果としては一〇年もの国債の流通利回りがマイナスとなってしまった。短期で資金調達し、長期で運用する金融機関にとっては、収益が上げられなくなった。 地方銀行、第二地方銀行の半数以上が本業赤字に陥った。銀行だけでなく、保険や年金基金も運用難に陥る事態となった。そして、このような副作用を伴いながら、マイナス金利導入によっても2%インフレが実現されることはなかった。 ③「イールドカーブ・コントロール」 二〇一六年九月の日銀金融政策決定会合は、「異次元金融緩和」についての総括的検証を行った。「日本経済はデフレではなくなった」と強弁するのだが、2%目標は達成できなかった。この事実に対して日銀は、原油価格の下落や消費税増税後の需要の弱さなどの影響で実際の物価上昇率が低下したこと、もともと適合的な期待形成の要素が強い予想物価上昇率が弱含みに転じたことが主因だと分析した。 その上でもさらに、2%目標達成のために、次の方針を決定した。 一、操作目標をマネタリーベースから長短金利に変更し、短期金利はマイナス0・1%、一〇年もの国債金利は0%程度に設定する。 二、短期の買い入れペースは金利操作目標を実現するよう、年間八〇兆円を「めど」に実施する。買い入れ対象の平均残存期間の定めは廃止する。 三、ETFとREITの買い入れ規模は維持する。 四、消費者物価指数(CPI)の上昇率が2%を超えるまでマネタリーベース拡大方針を継続する。 日銀は短期金利のみならず、長期金利まで操作する手法に踏み込んだのだ。日銀は、それを「イールドカーブ・コントロール(YCC)」と呼んだ。 イールドカーブとは、国債の利回りと残存期間の相関関係を示すもので、通常は残存期間の長いものほど金利は高くなる。この正の相関関係がなくなって、残存期間が長くても金利が高くないというフラットな関係になると、金融機関はこの運用で収益を得ることが困難になる。 日銀のマイナス金利導入によって、イールドカーブは極端にフラットになっていた。中央銀行の金融政策は本来、短期金利を操作することであり、長期金利がどう変動するかは市場に委ねている。イールドカーブは、その長期金利、短期金利の変動の結果なのである。金融政策担当者にとっては、その変化は、景気の減速・拡大の判断指標なのである。 しかし、「異次元金融緩和」を継続して、日本国債の保有を高めてきた日銀は、長期金利を操作することも可能だと判断した。その考え方に基づいて、「イールドカーブ・コントロール」なる手法に、日銀は踏み込んだ。 黒田の総裁任期である二〇一八年四月をにらみ、後継人事が論議される前に、「2%インフレ」の成果を出そうと、新たな手段に踏み込んだのだ。 しかし、「2%インフレ目標」を二年で実現どころか、二〇一七年に至っても目標は達成できなかった。それでも、安倍政権が掲げた「異次元金融緩和」を強行し続けてきた黒田に対して、安倍は再任を要請した。 安倍があくまでもリフレ派経済政策を信奉していたのかどうかはわからない。 むしろ、安倍と財務相麻生らの念頭には、黒田再任によって、「異次元金融緩和」と実質的な財政ファイナンスをさらに五年継続できることの政治的利害があったことの方が確かだ。 しかしながら、五年かけても2%インフレ目標が達成できていない、という問題は残る。 首相官邸は、この事実のもみ消しに入った。 「アベノミクス三本の矢」から2%物価安定目標なる文言が削除された。 そして、黒田自身も、2%物価安定目標の「達成時期」を文言として表記することを止めた。 二〇一九年に入ると日銀は、「異次元金融緩和」を続けても2%が達成できない理由を次のように語り始めた。日本社会には「物価は上がらないし、上がるべきではない」と考える「ノルム(規範)」があるからだと。日銀は力を尽くしてきたのに、日本社会の物価上昇を嫌う「規範」ゆえに2%インフレが実現しない、というのだ。まさに、責任の押し付けだ。 安倍の死と日銀総裁人事 二〇二〇年以降のコロナ禍、そして、二二年二月のロシアによるウクライナ侵略戦争が、世界―日本の政治、経済にも影響を及ぼす中で、二〇年には安倍晋三が首相を辞任し、菅義偉がその政治を継承。二一年九月には、自民党総裁選を経て、岸田文雄が首相となった。 政権は代わったが、黒田の日銀総裁任期は二三年までであり、異次元の金融緩和はそのまま継続していた。むしろ、コロナ禍に直面して経済が閉塞する中で、自公政権と日銀は、バラマキ財政と金融緩和を継続してきた。 安倍晋三は首相を辞任した後も、自民党政務調査会長・高市早苗が立ち上げた「財政政策検討本部」の最高顧問として財政政策、金融政策に影響を及ぼしていた。岸田は「財政健全化推進本部」を組織しており、安倍・岸田は政策、人事をめぐっても対立していた。 日銀の審議委員人事では、岸田は二二年三月、安倍政権以来のリフレ派・片岡を非リフレ派の髙田に代えることを決めた。安倍の承諾なしになされたこの人事に安倍は怒ったと報じられている。したがって、黒田の後継の日銀総裁人事でも、安倍が強く影響を及ぼすものと見られていた。 しかし、安倍晋三は七月八日、銃撃されて死亡した。安倍の死で、統一教会と自民党の癒着問題が露呈したが、一方で、アベノミクス継続と日銀の金融政策、そして、それと一体の人事も問い直されることになった。 米連邦準備制度理事会(FRB)など各国中央銀行が利上げに転換する中で、日銀だけがゼロ金利、金融緩和を続けている状況だった。二二年八月から九月に、円は大幅に下落し、一ドル一四五円台となっていた。それでも、黒田日銀は金融緩和を続けた。黒田の主張は、金融と物価が中央銀行の所管であり、為替は財務省の所管だというものだ。 しかし、為替と物価を切り離せるものではない。消費者物価は上昇し、上昇率は九月には3%、一〇月には3・6%に達していた。日銀は、金融緩和とYCCを維持しながら、長期金利の変動幅をプラスマイナス0・5%程度拡大するという修正を行った。 二三年一月には、消費者物価上昇率は4・2%にはねあがった。しかし、黒田は「賃金上昇を伴った2%目標の達成」ではないと主張して、金融緩和を続けた。 この事態の中で、二二年中には次期総裁人事は決定されなかった。 黒田の任期を四月に控えた二三年二月になって、共立女子大学教授の植田和男が総裁候補であることが明らかになった。学者ではあるが、日銀の審議委員の経験もあり、リフレ派ではない植田が総裁に任命された。 植田日銀と円安―物価高騰 二三年四月、植田和男が日銀総裁に就任した。 植田は即座に金融政策を変更しようとはしなかった。一九九九年のゼロ金利導入以来二五年におよぶ金融緩和を一年から一年半かけて検証する、とした。その上で、当面は現状の金融緩和を続けるとした。 一年間の「検証」の後、植田日銀は本年三月の金融政策決定会合で、マイナス金利の解除、YCCの撤廃を決定した。しかし、「賃金上昇を伴う」2%物価目標の実現は、「春闘の動向」が「一つの大きなポイント」だとして、国債購入を軸にした金融緩和からの転換は先延ばしした。 物価高騰に対応して利上げを続けてきた米国は政策金利の誘導目標を5・25~5・50%としている。日米金利差は明確であり、円売りドル買いは止まらない。四月二六日の金融政策決定会合後の記者会見で、植田は「(円安が)基調的な物価上昇率に今のところ大きな影響を与えているということはない」と述べ、無視できる範囲なのかという記者の質問に「はい」と答えてしまった。日銀が円安を容認していると受け取られ、その直後に一ドル一六〇円まで円安が進んだ。 日銀は六月一三~一四日の金融政策決定会合では、「異次元金融緩和」の軸になってきた国債の買い入れ額を現状の月六兆円から減らすと決めた。ただし、減額の具体的な計画は次回七月の金融政策決定会合で決めるとした。この決定に対して、外国為替市場では、日本の金融緩和の政策転換までにはまだ時間がかかると判断されfた。円安は進行し、一四日午後には一ドル一五八円台まで下落した。 植田総裁は六月一八日の財政金融委員会における答弁では、七月の金融政策決定会合での国債購入について「減額する以上、相応の規模」と述べ、さらに七月に追加利上げをする可能性も「十分あり得る」とも述べた。 ●政治化し軍事化する経済政策 出口のない金融緩和 一〇年前、二〇一四年の『戦旗』新年号論文は、2%目標の異次元金融緩和政策なるものが、必ずその「出口戦略」でつまずくだろうと指摘していた。 〇八年恐慌、一〇年代の欧州各国の財政危機・通貨危機に対応して、帝国主義各国がゼロ金利政策や量的金融緩和策をとってきたのは事実だ。しかし、世界の中で、日本政府と日本銀行は、とりわけ極端な「異次元金融緩和」を長期にわたって続けてきた。 日銀総裁黒田の下での「異次元金融緩和」、それを拡張する「黒田バズーカⅡ」、さらにマイナス金利の導入、そして、長期金利まで日銀が操作する「イールドカーブ・コントロール」。ここまでの金融緩和に突き進んでも、安倍と黒田が目標に掲げた「2%インフレ」は実現されなかった。逆に、ゼロ金利、マイナス金利という金融緩和が一〇年にわたって続く中で、日本の銀行は国内での投資で収益を上げることが困難になってきた。日本の企業活動そのものが停滞し、現代資本主義の機軸産業である耐久消費財産業、自動車産業、電機・電子産業での国際競争力減退、企業活動における不正が続いてきている。 ここで日本資本主義の発展のための論議をするのではないが、アベノミクスの機軸であった「異次元金融緩和」は、日帝ブルジョアジーの利害にすら合致しないものへと変質したまま、突き進んでいたということだろう。 それは、米帝からも批判されている。日銀が一六年に導入したイールドカーブ・コントロールに対して、FRBの政策を決定する米連邦公開市場委員会(FOMC)は二〇年六月に、その日銀の政策の危険性を指摘している。 「この政策は、特定の状況下で中央銀行に大量の国債買い入れを求める可能性があり、また、この政策の下では、金融政策目標と国債管理政策目標の間に対立が生じ、結果として中央銀行の独立性を危険にさらす恐れがある」。 イールドカーブ・コントロールを日銀が導入した直後に、FRB元議長バーナンキも批判し、これが財政ファイナンスの要素をもつことを指摘していた。 アベノミクスとして掲げられた三つの矢の「機動的な財政政策」は、異次元の金融緩和による無制限の国債買い入れという日銀の対応に支えられて実現されたものだっただろう。結局は、日銀の財政ファイナンスによってなされた放漫な財政政策だったのだ。 このアベノミクスの「成果」は滴り落ちるように労働者にもおよぶ、というのが安倍の言う「トリクルダウン」だった。「トリクルダウン」を主張した安倍政権も、「新しい資本主義」を掲げた岸田政権も、企業に「賃上げ」を要請した。賃上げを実現した企業には法人税を減税するという手法までとっていた。しかし、賃金は上がらなかった。 「賃金上昇を伴ったインフレ」を実現しようとしたのだが、その効果は表れなかった。二〇年以降のコロナ禍とウクライナ侵略戦争、ガザ虐殺戦争という情勢の中でインフレと円安が進んだ。その結果として、輸出を主とする大企業は円安で増収となり、一定の賃上げに応じた。しかし、名目賃金が上昇しても、物価高騰によって実質賃金は上がっていないのが実態だ。一方で、原材料費の高騰や国内需要の低迷にあえぐ中小零細企業は、賃上げを実現できない事態となっている。賃金全体は上がるわけではなく、格差は拡大するばかりである。 安倍政権の財政政策の中心には「国土強靭化計画」があり、「防災、老朽インフラ対策」ということが掲げられていた。日本において、四〇年越え原発こそ最大の「老朽インフラ」であるのに、これを廃炉にして自然エネルギーに全面転換していくことがなされていない。「機動的な財政」は使われるべきところに全く使われなかったということだ。老朽原発を六〇年越えでも稼働しようという誤ったエネルギー政策にまで踏み込んでいる。これこそ、岸田がアベノミクスから引き継いだ失政だ。 安倍政権と黒田日銀の一〇年の後、日本社会は、アベノミクスの呪縛というべき大きな副作用を伴った経済矛盾に突き当たっている。 「成長戦略」の失敗 アベノミクスの第三の矢「民間投資を喚起する成長戦略」が完全に失敗した理由は、実は、資本主義の景気循環の意味を全く誤って捉えているからなのである。 資本主義は、原理的には、おびただしい失業者を生み出す恐慌を経て、その恐慌後の不況期において、資本構成を高度化する新たな技術をもって固定資本を更新することができた資本が生産を開始し、生産を再び拡大する。資本主義という残虐な生産様式は、このような災厄を伴って、自らの古い生産手段を破壊し、新たな技術を採用することになる。 しかしながら、現代帝国主義は〇八年恐慌をどのように潜り抜けたのか。米帝オバマは、G7のみならず、中国、ロシアや産油国など二〇カ国を総結集したG20において、それら諸国の財政政策、金融政策を積み上げて、恐慌の危機を先延ばしした。その矛盾は、その後の欧州諸国の財政危機、通貨危機、あるい現代中国の不動産不況などとして発現しつつも、世界恐慌から大不況という事態を政治的に回避して、延命してきた。その最も顕著な政策がアベノミクスであった。リフレ派に従って経済政策を総動員した。恐慌を経ぬまま、インフレさえ実現すれば好況になるという、あまりにも浅薄な経済政策を一〇年間続けてきたのだ。日帝国家権力が政治主導で進めたインフレ政策=「異次元金融緩和」の行き着いた先が、経済成長も、技術革新もできない停滞経済なのである。 物価変動と景気循環 景気循環を単なる「貨幣的現象」と捉えるリフレ派の考え方に大きな誤りがある。社会に流通する貨幣の量を調整すればデフレをインフレに転換できるという単純な捉え方が間違っていたことは、この一〇年間の「異次元金融緩和」の失敗で明らかになっている。しかし、リフレ派の根本的問題は、デフレ=不況、インフレ=好況として、貨幣供給量で景気循環をコントロールできると考えたことだ。物価が上がることが好況だという単純化と、それゆえに実現目標が「好況」ではなく、「インフレ」だと倒錯しているのである。 本来は、好況期には生産の拡大に伴って労働力が不足し、結果として賃金は上昇する。それが商品価格に反映されて商品価格の騰貴が起こるということになる。インフレは、好況期の生産拡張の結果である。さらに言えば、資本主義の無制限な生産拡張ゆえに、その先の恐慌への原因にもなる。 これは原理的には労働力の商品化という資本主義的生産様式の根本的矛盾として、生きた人間の生命活動の発現そのものを、商品ならざるものを商品とした結果である。資本主義的生産様式において労働力は「商品」とされているのであるが、他の商品のように、必要な分だけ直ちに生産できる商品ではない。生きた人間であるゆえの限界がある。そうであるからこそ、ブルジョアジーも、失業率や賃金水準の動向を、景気変動の重要な指標とせざるをえないのだ。 資本主義的生産様式における景気循環は必然である。それは、インフレ、デフレという表層の現象だけを見て、貨幣供給量の問題だと捉えても、何も解決することはできない。 資本主義が抱える根本矛盾は、利潤を生産するものは労働力であり、それは生きた人間だという問題だ。ブルジョアジーとて、労働力ゆえの制約ということに気づいているからこそ、労働法制を改悪して、雇用形態を細分化し、さまざまな手段で賃金を下げようとする。また、一国の内部で解決できないとみるや、国外に直接投資をして低賃金での生産拠点を形成する。あるいは、技能実習生という方法で、外国人労働力を導入し、労働者としての権利を認めない雇用を行う。 停滞する経済の中で、利潤を増大させるためにブルジョアジーはあらゆる手段をとる。決して合法な枠だけではなく、非合法な手段にも踏み込むだろう。 問題は、貨幣供給量ではなく、労働力によって制約されざるをえない、ということだ。 失政の中で進む経済安保 安倍政権はその言説においては「新自由主義」を掲げ、アベノミクスでデフレを脱却できるかの論陣をはってきた。 しかし、ここまで見てきたように、「異次元金融緩和」を基調としたアベノミクスは自由主義経済などでは決してなかった。貨幣供給量を無制限に拡大すると同時に、国債ファイナンスによって安倍―菅―岸田政権は、膨大な借金を重ねて、やりたい放題の政策を強行してきた。 「新自由」どころか、国家権力が、本来独立しているべき中央銀行を一行政機関のように従わせて絶大な経済的権力を独占する政治だった。アベノミクスという特殊な形態で、政治が経済を統制してきたのだ。 しかも、この「異次元金融緩和」の副作用は今も続いている。植田総裁の下でも、「異次元金融緩和」を即座に修正することができない。激しい円安と物価高騰に直面して、日銀は、金融緩和を停止し、利上げを連続的に行うべき事態の中にある。しかし、一〇年間のゼロ金利、金融緩和に浸り続けた日本経済に衝撃を与えることを恐れて、植田日銀は、検証しながら時間をかけて政策を転換するしかないのだ。 アベノミクス―「異次元金融緩和」で統制されてきた日本経済は、他帝以上に大きな経済矛盾を抱えているのだ。 もう一点、このような特殊な統制経済を一〇年間続けてきた中で、自公政権は経済への政治的介入を強め、さらには、軍事問題で経済を左右するところにも踏み込んできている。 岸田政権は、その大軍拡の重要な領域として経済安全保障という考え方を打ち出し、主導してきた。今国会において、セキュリティ・クリアランス(適性評価)制度を導入するための「重要経済安全保障情報の保護及び活用に関する法」を拙速な審議で成立させた。 岸田が四月に訪米してバイデンと同意して発表した共同声明「未来のためのグローバル・パートナー」は、日米の作戦遂行に向けて、自衛隊の統合作戦司令部と米軍との間での連携の強化を確認した。実際の戦争遂行に向けた重要な合意だった。さらに、この共同声明では「日米防衛産業協力・取得・維持整備定期協議(DICAS)」について合意していた。 岸田政権が適性評価制度導入の法案を成立させた直後の六月九日から一一日、日米両政府は、DICASの初会合を開催した。防衛装備庁長官深沢雅貴と米国防次官ラプランテの下で開催され、防空ミサイルの共同生産、米軍の空軍機・艦艇の日本での整備、さらにサプライチェーンの強靭化が論議されている。しかも、この会合には、日米の防衛関連企業十数社も参加しているのだ。 岸田政権は、その政策、法案の中に「経済安全保障」を積極的に位置づけてきた。その実像ははっきりと示されずにきたが、このDICASの定期協議の中で具体化し始めている。 アベノミクスからの負の遺産による経済の混迷の中で、日帝の経済政策が、政治と軍事に直結する形で進められようとしていることを、はっきりと見定めていかなくてはならない。 安倍―菅―岸田の自公政権を徹底批判し、労働者階級人民の利害に立脚して、自公政権打倒に立ち上がろう。 |
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